前回お話しした、仏教がたとえられる海の特徴は1つには、非常に深いということでした。
よくある幸せは、すぐに色あせてしまう 浅い幸せですが、仏教で教えられる絶対の幸福は、二度と崩れることのない限りなく深い幸せなのです。
2つには、どんな川の水も、海に入れば同じ味になるということです。
世の中には実際問題として、男女差別、人種差別など、色々な差別があります。
ところが仏教では、男女も人種も関係なく、お金があるかないか、地位が高いかどうかと関係なく、平等の幸せの世界に生かされます。
それを海にたとえられているわけです。
では3つ目は何でしょうか。
それは、この地上のどこに降った雨水でも最後は海へおさまらないと落ち着かないということです。
山のてっぺんに降った雨水が、チョロチョロと流れて、ある池にとどまります。
ですがそこでは落ち着きません。
やがて池をあふれて流れ出します。
そのうちにまたもっと大きな湖に入ります。
ですが、そこでも落ち着きません。
そうやって流れ流れて、最後は海に流れ込みます。
海というのは、地上に降ったすべての水が、最後におさまる所です。
それと同じように、地球上には何十億もの人がいて、色々な宗教をやっています。
「いわしの頭も信心から」といわれるので、祈ることによって何らかの気休めになることもあるかもしれませんが、それは根本的な解決ではありません。
一時的なものです。
やがて、これでは助からないと他の宗教に流れていきます。
ところがそこでも本当の安心も満足もない。
そしてまた別の教えを求めます。
そうやって、色々な教えを探し求めますが、心から安心、満足できる教えにはめぐり会えません。
一体どうすればいいのかというと、聖徳太子は、仏教こそが「四生の終帰」だと十七条憲法に教えられています。
「四生」とは、生きとし生けるものすべてです。
「終帰」とは、最後はここに来なければ落ち着かない、最後の落ち着き所です。
生きとし生けるものすべては、最後は仏教以外には苦しみの根元を絶ちきれない、本当の幸せにはなれない、ということです。
つまり最後は仏教に来なければ、本当の人生の目的は果たせないということです。
それを地上に降った雨は、最後は海に来ないと落ち着かないように、雨水の最後の落ち着き所である海にたとえられてるのが3番目の意味です。
「終帰」ということです。
最後に、仏教を海にたとえられる4つ目の理由は、海は非常に「広い」ということです。
陸地もかなり広いように感じますが、海は地球の表面の70%をしめます。
これは、陸地の面積の2.5倍です。
地球上に、海より広いところはありません。
そんな非常に広い所が海です。
では仏教の何が広いのかというと、対象です。
男も女も、
お金のある人もない人も
頭のいい人も、そうでもない人も、
地位の高い人も、高くない人も
すべての人が、対象です。
この位の善人なら幸せになれるけど、
こういう悪人はダメ、という限界はありません。
これ以上広い対象はありませんから、仏教は海にたとえられているのです。
4番目の理由は「広い」ということです。
その仏教の象徴が海なので、
日本仏教学院のメインイメージを海にしたわけです。
まとめると、海には
1.深い
2.平等
3.終帰
4.広い
という4つのすばらしい点があります。
どんな人でも、仏教を聞けば絶対の幸福になれますので、ぜひそこまで仏教をお聞きください。
ところで、仏教の教えや生きる意味について情報提供をしている
仏教ウェブ入門講座
というサイトがあるのですが、コロナが流行し始めてから、検索順位がかなり下がってしまっていました。
それは、グーグルが、人生に関わる領域では、権威性を重視することにしたからです。
例えば病気などの場合は、素人の書いた記事よりも、病院のサイトの記事や医師の書いた記事のほうが、信頼性が高いので、検索順位が高くなります。
それは健康の分野では確かに有効だと思います。
では、仏教の世界では、権威性があると認定されたのはどこかというと、伝統教団の公式サイトや、なんと、葬儀社などの情報サイトでした。
伝統教団の公式サイトに入っていれば、ちょろっと書いた記事でも上位に表示されます。
また、葬儀社は仏教の教えについては専門家ではないと思いますので、適当な記事が書いてあることもあります。
中には他人の書いた記事を混ぜ合わせたような記事や、明らかに間違ったことが書いてあることもありますが、
それも上位に表示されて、多くの人の仏教の理解を混乱させてしまっているのです。
それというのも、仏教はイコール葬式だとグーグルに認識されてしまっているからでしょう。
そのように、いまだに仏教界のほとんどが、葬式や法事をメインとして、仏教の教えを伝えられていない状況です。
その中で、ほとんどの人は知ることのできない本当の仏教の教えを明らかにするべく、その一端として今回は、通信コースで本当の仏教の教えを配信していくための日本仏教学院の新たな環境を作りました。
何とかこの仏教界をかえるため、引き続き、全力を尽くしていきたいと思います。