今でも日本のほとんどの家では、檀家になっているお寺があると思います。
分かりやすくいうと、自分の家の先祖代々のお墓があるお寺です。
思い浮かびますよね。

そこにはお葬式の時に来てくれる僧侶がいます。
ですが、僧というのは、本来は仏教を伝える人のことです。

その目標とするところは、檀家の方を極楽浄土へ導くこと、つまり、この世から未来永遠の幸せになれるようにお釈迦さまの説かれた教え、仏法を伝えることです。
これを 「法施」といいます。

すると檀家の方は、
「いつも尊い教えを聞かせて頂いて申し訳ない」
と感謝して、昔なら
「うちでとれたこの大根どうぞ」
というように野菜やお米を持ってこられます。
これが「財施」です。

このような僧と檀家の方の法施と財施の関係は、お釈迦さまの時代からの関係です。

ですから僧のつとめは何かというと、法を説くことです。

江戸時代に、2千軒の檀家がある大寺院のお坊さんが、香樹院というお坊さんに
「檀家は何軒お持ちですか?」と尋ねました。
すると香樹院は、
「7軒です」
「それは大変ですね」

これは、大体3百軒の檀家がないと生きていけないといわれているので、7軒じゃ生活が大変ですね、という意味です。

香樹院はそれに対して
「はい、そうなんですよ。あなたは?」
と聞き返します。
「うちは2千軒の檀家があります」

すると香樹院は、
「そうですか。7軒だけでも本当の幸せに導くのは大変なのに、2千軒もあると本当に大変ですね」
と言ったといわれます。

これは、僧のつとめは仏教を伝えることなので、伝える相手がとてつもなく多くて大変ですね、という意味です。

この2人は、同じ「大変」という言葉を使っていても意味がまったく違うのですが、本当の僧は、大寺院のお坊さんのような生活の心配ではなく、香樹院のように、どうすれば未来永遠の幸せになる仏教の教えを伝えて、みんなをそこまで導くことができるかを心配するものだ、ということです。

そうすると、仏教を聞かせて頂いた人は、
「こんな尊い教えを聞かせて頂いてもったいない」
と財施をされます。
僧は、その財施によってまた法施をします。

ここでポイントなのは、
「法施」も仏縁が深まりますし、
「財施」も仏縁が深まりまるということです。
この法施と財施のサイクルを繰り返しているうちに、みんなが本当の幸せに近づいていくわけです。

このような法施と財施のいい循環が回ることによって、仏教は広まってきたのです。

ところが現代では、仏教というと、教えを伝えるというよりも、葬式や法事がメインのようになってしまっている残念な状況です。
教えが伝えられないと、葬式や法事にも何の意味があるのか分からないということで、仏教はどんどん衰退してしまいます。
法施と財施のいい循環が途切れてしまったのです。
ということは、すべての人が本当の幸せになれる道を説かれた仏教を再興するには、仏教の教えを伝えなければならない、ということです。

これは、ただお経を読むだけよりもはるかに困難なことですが、私は困難なところを突破していきたいと思います。
そのために、仏教とは異なる分野で、すばらしい結果を出しているものをできるだけ取り入れたいと考えています。
そして今回は、一流デザイナーのデザインを取り入れ、仏教がいつでもどこでも学べる日本仏教学院を設立して、仏教の通信コースを用意しました。
仏教の教えを学び、縁のある人に伝えて共に私たちの手で仏教の流れを変えていきましょう。