科学は、世の中に起きることを、
物質の問題と
心の問題に分けて、
物質の問題について、
客観的に解明しようとするものです。
そのため、主観的な心の問題は
科学では基本、扱わないのですが、
そうなると、医学は意外と科学的ではありません。
なぜなら、医学が取り除こうとしている「苦しみ」は、
一人一人異なる、主観的な心の問題だからです。
例えば苦しみの中でも単純な、
「痛み」について考えてみましょう。
私は昔サッカーをやっていましたが、
試合中、他の選手に接触して転んだ場合、
すごいテクニックがあります。
それは、必要以上に痛がるようにすることです。
なぜかというと、
転んでも平然とむっくり起き上がるよりも、
転げ回っていたほうが、審判にアピールして、
相手選手にイエローカードが出やすくなり、
試合に勝ちやすくなるからです。
これは人間的にちょっとどうかという裏技ですが(笑)
転んだ人がどの位痛いのかは、
審判には確かめようがないのです。
本当に痛い可能性もあります。
そうかと思うと、
平然と試合を終えた人が
後から調子が悪くなり、
病院に行くと骨にひびが入っていたりします。
いつの間になったのか、
本人も心当たりがありません。
骨がおれていなくてもものすごく痛いときもあれば、
骨がおれてもあまり痛くないときもあります。
痛みというのは、一体どこから起きてくるのでしょうか?
痛みが起こるしくみは、一応、
「科学的に」わかっています。
それは電気信号です。
ちょっと難しくなるのですが、
痛いところの細胞は、
細胞膜の内側と外側の電位差ができていて、
その刺激によって痛みを感じることがわかっています。
そして実際に、細胞の電位差をなくせば
痛くなくなることもあります。
そうだとすれば、痛みは、
客観的な電位差で表せるのでしょうか?
現実は、そんな単純なものではありません。
なんと、手足がない人が、
存在しないはずの手足が痛くなることがあります。
これを「幻肢痛(げんしつう)」とか
ファントムペイン」といいます。
ファントムペインは、手足をなくした人の8割が
体験するといわれますが、
手足がない人には、手足の細胞はありませんから、
細胞膜の電位差もありません。
それなのに、万力で指をつぶされるような
痛みを感じたりするそうです。
そんなファントムペインを感じているときに
MRIで脳の断面図をとっても
どの部分が活性化しているかはわかりますが、
何を感じているかはわかりません。
科学的に分析しても、痛みは検出できないのです。
このように科学では、客観的な物質の状態や、
電気信号は検出できますが、
心で何を感じるかは検出できません。
科学では原理的に痛みを取り扱えないのです。
ところが医学の目的は、
主に、患者の肉体の痛みや苦しみを
取り除くことです。
確かに治療にあたって科学的視点は必要ですが、
科学では究極的には痛みや苦しみを検出できないので、
医学の目的については、
科学にはなすすべがないのです。
そして、肉体の痛み以上に複雑なのが、
心の痛みや、苦しみです。
同じ状況で何を感じるかは人それぞれです。
同じ人から同じことを言われても
どう受け止めるかも人によって違います。
他人の苦しみを理解できるかというと、
相手の話を聞いて、同じ状況のとき、
自分だったらどう思うかを想像するしかありません。
それはあまりに複雑過ぎて、
科学では足下にも及びません。
もし科学的に理解しようとすると、
そんな機械的に対応しないで!
と言われてしまいます。
ところが、その複雑な心の苦しみの解決法が
明らかにされているのが仏教です。
主として肉体の苦しみをなくそうとするのは医学ですが、
心の苦しみをなくすことを目的としているのが
仏教なのです。
仏教には、次の4つが教えられています。
1.苦しみの症状
2.苦しみの根本原因
3.苦しみが完治した本当の幸せとは
4.苦しみの特効薬
すでに2600年前に、
ブッダは心の苦しみの根本原因と、
それを取り除く道を発見され、
体系化されています。
これはもちろん科学には手も足も出ません。
このような心の苦しみの解決を教えられた
仏教を聞き、その通りに進んで行くと、
苦しみの根本原因を解決して、
本当の幸せなれます。
ぜひ共に仏教を学びましょう!
それではお体くれぐれも大切になさってくださいませ。