前回に続けて、生きる意味や目的は、分からないよりも、
間違っているほうが、より幸せから遠ざかる可能性が高く、
危険ですので、生きる意味についての
よくある間違いについてしばらくお話ししたいと思います。
(よくある有名なものを7種類くらいあげようかなと思いますが、
途中で終わってしまうかもしれません)
では、まず1つ目は
「生きる意味なんかなくても生きていける」
です。
▼何のために生きているのですか?
と聞いてよく出てくる一つ目は、
「生きるために生きる」
というものです。
「生きるのは何のため?
そんなこと考える必要ないんじゃないかな、
生きること自体が大事なんだよ」
このように、
「生きるために生きる」というと、
何か深いような響きがありますが、
実際には何も考えていなかった人が急に聞かれて、
焦って出てきた答えにありがちです。
これに似た考え方としては、
「生きるためにはお金を稼がなければならない。
そのためには仕事をしなければならない」
と、「お金のために仕方なく仕事をしている人」も
結局は生きるために生きているということになります。
「受験勉強は何のため」と聞かれて
「受験勉強のため」では答えになりませんし、
「科学の目的は?」と聞かれて
「科学の進歩のため」では、答えにならないように、
「生きるために生きる」は、
生きる目的の答えになっていないのですが、
それに気づいた人は、よく、
「生きる目的なんか考えなくても生きていけるよ」
と言います。
▼確かにその通りです。
現に、生きる意味を考えている人も、考えていない人も、
みんな生きています。
何も考えず働いて、お金を稼ぎ、子供を生んで育てます。
そんな人生のすがたを一休は、
人生は 食て寝て起きて クソたれて
子は親となる 子は親となる
と詠いました。
毎日、食べては出し、食べては出し、
起きては寝て、起きては寝て、
台所と便所の往復、布団のあげおろし、
毎日が同じことの繰り返しです。
その間、人それぞれ色々な仕事をしたり、
趣味やスポーツ、旅行などで楽しみますが、
本質的には同じ事を繰り返しているだけです。
その間に、子供があっという間に成長して親となり、
その子供もまたあっという間に親となり、
その間に自分は年をとって死んでしまいます。
▼ところが、そんな食べては出し、
子供を育てるだけの人生なら、
動物でもやっています。
動物というのは、何も考えず、本能的に生きています。
本能的というのはつまり、
欲を満たすためだけに生きているということです。
欲の心は人間にもありますので、
仏教では、食欲、財欲、色欲、名誉欲、睡眠欲の
5つの代表的な欲を五欲といいます。
五欲
・食欲………食べたい、飲みたい欲
・財欲………金や物が欲しい欲
・色欲………異性を求める欲
・名誉欲……褒められたい、悪口言われたくない欲
・睡眠欲……眠たい、楽がしたい欲
人間も、何も考えず、これらの五欲を満たして
喜んでいるだけの本能的な生き方なら、
生きる意味も目的も、特に必要ありません。
それでも生きていけますし、
現代ではそんなアニマルな人間が
増えているとも言われるのですが、
そんな刹那的な快楽を満たすだけでは、
心からの安心も満足もないまま、
あっという間に人生は終わってしまいます。
▼それでは生まれがたい人間に生まれた甲斐がありません。
このように「生きるために生きる」というのは、
生きる目的を考えていないということですが、
トルストイはこう言います。
人生の意義を探し求めようとしない者がいるならば、
その人間は生きながら死んでいるのだ。(トルストイ)
そんな人がこの生きる意味の記事を読むのは
矛盾していますので(笑)
さすがにこのブログ読者の方に、
そんな方はめったにないと思いますが、
このような人生のすがたをありのままに見つめて、
はじめて生きる意味、目的が問題になってくるのです。
仏教には、本当の生きる意味が
明らかにされていますので、
ぜひお分かりになるところまで
お聞き下さい。