仏教というのは、よく海にたとえられます。
海の特徴といえば、1つには非常に深い。
地上で一番高いのはエベレストですが、約9千メートルです。
それに対して海で一番深いのはマリアナ海溝で、約1万1千メートルです。
エベレストの上に富士山を足したら、ようやく頭が出るくらい深いです。
海以上に深いものはないわけです。
これは何を表しているのかというと、仏教の救いの深さです。
助かったといっても、世の中では浅い助かり方ばかりです。
例えば、お腹がすいて餓死しそうになっている時に、食べ物をもらうと「助かった」と言います。
確かにそれは助かったんですが、しばらくするとまたお腹がすきます。
病気で死にそうになっていた時に、一か八か受けた手術に成功して病気が治ったら、
「助かった」
と言います。
それは助かっていますが、今後は病気にかからなくなったわけではありません。
また再発するかもしれませんし、別の病気にかかるかもしれません。
助かったといっても、一時的です。
そういう救いは浅いのです。
ところが仏教の救いは、絶対の幸福です。
ひとたび救われたならば絶対に変わることのない幸せになれます。
ですから、仏教を
「功徳の大宝海」と
宝の海にたとえられ ることもあります。
世界中のお金を全部もらったよりもすばらしい幸せになれます。
その意味では、仏教によってなれる幸せは限りなく深いのですが、地球上では海より深いものはないので、海にたとえられているわけです。
仏教の救いはそれだけ深いということです。
次に、仏教を海にたとえられる2つ目は、どんな川の水も、海に入れば同じ一つの味になることです。
世の中には色々な川があります。
大きな川もあれば、小さな川もあります。
きれいな川もあれば、濁った川もあります。
世界中から色々な川が海に流れ込みます。
ですが、海に流れ込めば、海は圧倒的ですから、違いがなくなってしまって、みな同じ 塩辛い一つの味になります。
海にはそういう圧倒的な働きがあります。
ちょうどそれと同じように仏教は、どんな人でも差別なく、一味平等の幸せの身にしてしまうのです。
人生の目的を達成すれば、男の人も、女の人も
日本の人もアメリカの人も
同じ喜びの世界に出られるということです。
もしあの人の絶対の幸福とこの人の絶対の幸福は少し違うとなれば、それは比較ができますから相対の幸福です。
それが絶対の幸福である以上、能力もお金のあるなしも、何も関係ありません。
平等の幸せの世界に生かされるのです。
そういうところを、万川が海に入れば同じ味になることにたとえられているわけです。
仏教の救いは平等、ということです。
仏教が海にたとえられる理由は、あと2つあるのですが、長くなるので残りは次回に続きます。
そのような海が、日本仏教学院のメインイメージになっているわけです。
今回新しくなった通信コースのウェブサイトは、中身もかなり変わりました。
まず大きいのは、スマホ対応ができたので、パソコンでアクセスしてもスマホでアクセスしても、見やすいレイアウトに自動的に変わります。
そして、今回ウェブサイトをデザインしてくれたデザイナーさんは、大学の先生もされているので、学生さんたちが実際に利用しているのはどんなサイトかという経験から制作してくれました。
それは、ほとんどがスマホで、複雑な機能はあっても使われず、シンプルなものが使われているとのことで、非常にわかりやすいレイアウトになりました。
また、ボタンなどの配置も論理的で理解しやすいものになっています。
それで、ログインすると、どこでビデオを見て、どこでテキストをダウンロードして、どこで理解を確認するのか、ということが自然に分かるようになっています。
ちなみにテキストの表紙も新しい海のイメージに変更になりました。
すでに受講されている方は、ぜひ見てみてください。
ついでに内容も復習されると尚いいと思います。