日本仏教学院のシンボルマークの真円は、絶対の幸福を表しています。
絶対の幸福というのは、絶対変わらない幸せです。
普通の幸せは色あせます。
「今を楽しむために生きている」という人も、何か好きなことに没頭している時は楽しいでしょうが、それが中断されるともう楽しさは途絶えてしまいます。
あの時は楽しかったといっても、それは単なる思い出であって、喜べません。
むしろ苦しい状況になると、過去が楽しければ楽しいほど、
「昔はよかった」
「あれから人生誤った」
といって、みじめになります。
過去に戻ることはできないので、全然喜べません。
そのような、続かない、色あせる幸せが相対の幸福なのです。
一方、絶対の幸福は、色あせることも薄れることもありません。
例えば具体的に、30歳の時に絶対の幸福になったとすれば、
1年後の31歳の時も喜びは変わりません。
5年後の35歳の時も変わりません。
10年後の40歳の時も、
20年後の50歳の時も、
30年経った60歳の時も 変わりません。
なぜかというと、それは30年前の過去に救われたことを喜んでいるのではないからです。
今救われたことを喜んでいるんです。
救われた瞬間から、今今今今……と今が続きますが、常に途切れずたゆまず絶対の幸福に生かされ続けているのです。
これを、29歳で絶対の幸福になられた親鸞聖人は、
「摂取の心光は常に照護したまう」(正信偈)
といわれています。
「摂取」とは、おさめとる、ということで、ガッチリとおさめとられて変わらないことです。
絶対の幸福にする働きに、常に照らされ、護られる身になった、というのが
「摂取の心光は常に照護したまう」
ということです。
常に変わらない絶対の幸福になった、ということです。
これを「念々に捨てざる」ともいわれています。
何億分の一秒よりも短い時間で絶対のも幸福になって、それが間断なく、今今今今……と念々に続きます。
これは何があっても変わりません。
そんな完全無欠の幸せですから、絶対の幸福を「極速円融」といわれるのです。
絶対の幸福とは、
過去に救われたことを喜ぶのでもなく、
未来に救われることを喜ぶのでもありません。
今救われたことを喜ぶ幸せなのです。
今日あって明日はなくなってしまう
はかない幸せではなく、絶対変わらない絶対の幸福に生かされることが本当の人生の目的なので、
今回の日本仏教学院のシンボルマークのBも、
P(パーパスオブライフ・人生の目的)と
○(絶対の幸福)
の組み合わせでできていますす。
仏教を聞けば、どんな人でも、絶対の幸福になれますので、ぜひそこまでお聞きください。
仏教を聞きたい人にいつも訪れて頂く通信コースのウェブサイトを自分で作った手作り感あふれるものから、ブロによるものにリニュアルするにしても、そこらへんのホームページ屋さんに作ってもらった、ありきたりのものになったら残念です。
せっかく尊いみなさんに絶対の幸福について学んで頂くわけですから、唯一性が高くて、家族やお友達に見て頂いても問題ないどころか、誇れるような、洗練されたクリーンなイメージにしたいと
一流デザイナーにお願いすることができました。
ところが、第1候補の海の写真(今使ってあるものです)が、販売されている写真 素材ではなかったので使えないということだったのです。
似たような他の写真も調べてみると、やはりこの写真が一番いい。
そこでこの写真を撮った人は どなただろうかと調べてみると、私の出身の千葉県の、ある写真家の方の作品だと分かったのです。
海は暁の九十九里浜でした。
そこで、その方に事情をお話しして、購入できないかお尋ねしたところ、こんなことは初めてだそうですが、快く購入させて頂くことができたのです。
やっぱり積極的に聞いてみるものですね。
そのことをデザイナーに伝えると、海のイメージをメインとして新サイト制作が始まったのです。
デザイナーさんによれば、日本仏教学院が提供するのは「衣食住」に関係する日常的に消費される日用品ではなく、人間の「高次の欲求」に応えるものになります。
その場合、正確性、明瞭性、論理性、倫理性など、ごまかしの効かない特性が強く求められるそうです。
同時に、人々の暮らしや人生に寄り添う側面も求められるので、これらの特性をいかに表現し、伝えるかを、ブランド作りのテーマと捉えて頂きました。
それはとても難しいテーマだといわれながらも、「心の時代」に相応しい現代的なテーマだと意欲的に取り組んで頂くことができたのです。
その後、何ヶ月もの間に100回以上のやりとりをして詳細に要望を聞いて頂き、ついに完成することができました。
それによって、デザインが洗練されただけでなく、新しい機能もつき、仏教を聞くというハードルが今までよりはるかに下がることになったと思います。