前回、唯物論のように死後を認めないのは、
仏教では、原因があれば必ず結果を生じる
因果の道理によって間違いだと教えられていることを
お話ししました。
では、仏教でも、死後も変わらずに続いて行く
霊魂の存在を認めるのでしょうか。
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仏教では霊魂の存在を認めるの!?
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さて、仏教では「常見外道」と言われていますが、
ほとんどの宗教が死後も続く霊魂を認めます。
日本人にはなじみが薄いですが、
キリスト教でも魂は不変不滅ですし、
日本神道も完全にそうです。
死んだ人や動物の霊をまつると、そこに鎮座して、
生きている人に幸せや不幸を与えるという信心です。
ですから
明治神宮なら明治天皇、
湯島天神なら菅原道真、
稲荷神社ならきつねをまつって、
賽銭を払ったりあぶらげを持って行って、
家内安全とか、合格祈願みたいな
幸せを願うわけですよね。
死んだら無になるのなら、意味不明ですから、
何か変わらない魂があって、それが死後も続いている
と考えています。
ところが仏教では
そんな死んだ人間や動物の霊が、
どこかにずっと鎮座していて、
私たちに幸福や不幸を与えるなんてことは
ありませんよ、と教えられています。
どんな点がおかしいのかというと、
無我なるが故に常有にあらず。
と、教えられています。
「無我」とは、この世に
固定不変のものは存在しない、
ということです。
ですから、死後も変わらない霊魂なるものが
存続するということはない、
と教えるのが仏教です。
(仏教で言われるまでもなく、冷静に考えれば、
きつねの霊をまつってあぶらげで幸福を祈るなんて、
おかしいですよね。
外国の人から見たら、アニミズムのような原始的な宗教に見えますから
なぜ日本の高度な科学技術と両立するのか謎だと思います)
▼こうして、仏教では、死んだら変わらない霊魂が存続する
ということも否定されているのですが、
そうすると、昨日の話と合わせて、
因果応報なるが故に来世なきにあらず、
無我なるが故に常有にあらず。
ということになります。
仏教では、
死んだら無になるわけでもないし、
固定不変な霊魂が続くのでもない。
あれ?
ここまでの話をよく聞いていた、
鋭いみなさんは、
じゃ、
仏教ではどうなるわけ?
と思うでしょう。
仏教では、霊魂はないのですが、
私たちの生まれる前、果てしなく遠い過去から、
死んだ後もずっと続いていく永遠の生命を
「阿頼耶識(あらやしき)」といわれます。
阿頼耶識は、「暴流(滝)の如し」と言われるように、
心と口と身体の業力をおさめて、
ものすごい勢いで変わりながら
三世を貫いて続いていくので、
死んだら無になるわけでもなければ、
固定不変な魂が続いていくわけでもないのです。
図に書くと、こんな感じです。
断見外道(唯物論)
──────────┤死
常見外道
──────────────────────────
仏教
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点線なのは、
「生滅あれども断ならず、相続すれども常ならず」
と教えられるように
変わり続けながら続いていくということです。
こうして私たちは、生まれ変わり死に変わり、
車の輪が回るように果てしなく
苦しみ迷いの旅を続けていると説かれています。
これを「生死輪廻」といいます。
この生死輪廻から生きているときに離れて、
未来永遠の幸福になる道が仏教に説かれているのですが、
仏教は、人間に生まれたときしか聞けませんので、
人身受け難し 今すでに受く
仏法聞き難し 今すでに聞く
この身今生に向かって度せずんば
さらにいずれの生に向かってかこの身を度せん(釈尊)
生まれがたい人間に生まれ、
聞き難い仏法を聞けた今生に、
必ずこの本当の生きる目的を知り、完成して、
未来永遠の幸せになりなさいよ、
とお釈迦さまは説かれています。
それが人界受生の本懐
人間に生まれた目的だ
ということです。
▼ところがこのことは、
「人身受け難し」のお言葉は
大変有名にもかかわらず、
仏教の本を読んでも
まったく分からなかったと思います。
読んでも意味が分からないばかりか、
ますます混乱して分からなくなったのでは
ないでしょうか。
それは現代日本の仏教の本は、
99.9%間違っているからなのですが、
それは一体どうしてかというと、
実は、現代の日本の仏教学、そして仏教学会に秘密があります。
それについてはまた明日。
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編集後記
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昨年も、記事を数ヶ月書かなかったりすると、
たまに
「やめちゃったんですか?」
というお問い合わせを頂くのですが、
最近は基本的に、何かみなさんに価値あるコンテンツを
お届けできるとかしか記事を書かなくなってしまいました。
しかも私が続けて記事を出すということは、
「何かセミナーの案内があるのかな」
とか
「また本でも出すのかな」
とか、
「仏教通信コースの再募集かな」
という疑いがあるのですが(笑)
今回は何もありません。
もう最近は自分でメールの返信するのも
大変過ぎです。
最近はそれも縮小し、
そのうち仏教通信コースのメール・コンサルも
終了するかもしれませんので、
もし何かご縁がありましたら、お早めにどうぞ。