ついに今回は
よくある生きる意味の誤解シリーズ第7回
最終回となります。
とうとうここまで来てしまいましたが、
生きること自体が大事?
は一体どうのでしょうか?
▼こうして後半は、
一応「何のために生きるのか」に
答えている3つを見てきました。
ところが、
「4.愛のため」も続かない、
「5.自己実現」もキリがない、
「6.生きた証」も最後は消えてしまう、
というふうに、
いずれも人生これ一つという
本当の生きる目的とは言えないものばかりでした。
となると、色々考えて、人生経験をふんでも、
人生の目的地が分からなくなってきます。
▼そして最後に考えるのが、色々の言い方がありますが、
「今が幸せであることに気づく」とか、
「いま・ここを生きる」とか、
「目的よりも過程が大事」とか、
「すべてのことに意味がある」とか、
「生きているのではなく、生かされていることに感謝」など、
生きること自体に意味を見いだそうという考え方です。
 これは、1番目の何も考えずに
「生きるために生きる」というよりも、
人生経験豊富な方が言われることが多く、
確かにずっと深くなってはいるのですが、
やはり、生きることが目的であり、
生きるために生きると言っているのと同じです。
 もし生きるために生きているとすると、
歩くために歩いたり、
走るために走っているのと同じです。
「じゃあ今から一緒に走りましょう」
と言われたらどうでしょうか。
夕日に向かって走るのなら
ロマンチックかもしれませんが、
現実には「どこへ向かって走るのですか?」
と聞きたくなります。
「目的地よりも過程が大事」とか
「目的地が分からなくても、いま・ここを走りましょう」とか、
「走っているすべてに意味がある」
「走らされていることに感謝」
と言われても、困ります。
 それでも断り切れず、目的地なしに走ってしまった場合でも、
なぜか色々な障害物が出てきます。
ゆっくり走っていたら越えられないので、
かなり遠くから助走をつけて越えなければなりません。
はたまた競争相手まで出てきて
蹴落とされそうになったりもしますから、
その分頑張らないといけません。
今が幸せと気づいても、なぜ障害物競走を
しなければいけないのか分かりません。
たまに走っていることに感謝してみても、
だんだん疲れてきて、すぐに忘れてしまいます。
そうして、学校の試験や、就職活動、婚活や子育てなど、
色々な困難を乗り越えて
歩いたり走ったり進んでゆきます。
人生は短距離走というよりマラソンですから、
よくペース配分を考えていま・ここを、
感謝して走っていくのですが、
そうするとやがて見えてくるのが、崖っぷちです。
このまま走っていくと、最後、必ず
崖から落ちてゆかねばなりません。
なぜ、色々な苦難を乗り越えて、
崖から落ちるまで走っていかねばならないのでしょうか。
走ることに感謝できるはずがありません。
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     走→
────────────┐
            │崖
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 このように、何のために生きるのか分からず、
やがて必ず死んで行かねばならない人生を、
ロシアの作家、チェーホフは、

いやしくもものを考えるほどの人間なら、成年に達して、
成熟した意識をもつようになると、しぜん、
自分が出口のないわなにでも落ちたように感じるものです。(チェーホフ)

と表現しています。
 どんなに嫌だと思っても、時間の流れを止めることも、
逆戻りすることもできません。
どうしようもない力に押されるように
目的もなく走っていき、色々の困難を乗り越えた末、
最後崖から落ちてしまうのです。
その、崖から落ちるときの心境を、
お釈迦さまはこのように説かれています。

大命まさに終わらんとして悔懼こもごも至る(大無量寿経)

大命」とは肉体の命ですから、
大命まさに終わらんとして」とは、
臨終に、ということです。
」とは、過去の行為に対する後悔。
」とは、これから入ってゆく
真っ暗な未来に対する恐れです。
ですから「悔懼こもごも至る」とは、
臨終に、後悔と恐れが、代わる代わる起きてくる、
ということです。
これまで時間があったのに、
なぜ目的地を見つけなかったのか。
最後崖だと分かっていたのに、
とうとう目的地が分からずに崖まで来てしまった。
どれだけ今を精一杯走っても、自分らしく走っても、
他人のために走っても、走ったあかしを残しても、
崖から落ちていくときには何の関係もありません。
みんな次々と崖から落ちてゆきます。
このように、目的を知らず、
生きること自体を大事に生きていくと、
人間に生まれてよかったという生命の歓喜もなく、
それどころか後悔の中、
人生を終えることになってしまいます。
やはり、目的知らずに、生きること自体が大事とは言えません。
では、人生には、一体どんな目的があるのでしょうか。