生きる意味が分からない人の特徴

あなたは生きる意味が分かりましたか?

生きる意味を明らかにされた仏教の話を聞くと、

たまに、

「生きる意味の答えがなかった」

という人があるんですよね(笑)

他にも、

「一人一人生き甲斐を持つことが大切だと分かりました」

とか。

それって、趣味や生きがいなどの

生きる手段を生きる目的だと思っていますね。

これは、読解力がないからではないんですね。

読解力はありそうな人でもこういう人はあります。

これまでたくさんの人とコミュニケーションを

とってきた経験からすると、

そういう人の特徴としては、

もともと、自分で考えてこれが人生の目的だと思うものを

強く持っているんですね。

その自分の考えはいつ出てくるんだろう?

今か今かと探しながら読んでいたけど、

ついに出てこなかった、という意味です。

それどころか、

「自分の考えは生きる手段だと言われた。

 ネガティブだ」

みたいな感じの人もあります。

または、

「ん~、よく分からないけど、きっとこの目的というのが

 自分の考えていたものなんだろう。

 自分の考えは正しいんだから。

 いやはやさすがお釈迦さまは世界の三大聖人のトップ。

 今まで考えてきた私の考えと同じだ。

 そう、一人一人が、人それぞれの生きる目的を見つけることが

 大事だと分かりました」

というようなものです。

自分の考えと仏教が同じなら

自分の考えに従えば本当の幸せになれるはずなので、

仏教を聞く必要はないですね。

中には、

「お釈迦さまは仏教にこのように教えるべきだと思う」

という人まであります。

自分の考えのほうが

仏のさとりより上だとでも思っているんですかね(笑)

そういう人っていうのは、

逆に、自分の考えでいっぱいいっぱいで、

仏教の教えを受け入れられないわけだから、

心の器が小さい、ということですよね。

「私は自惚れていて、心の小さな人間です」

と表明しているみたいなので、

普通は恥ずかしいと思うんですけど。

または、自分の考えを守ろうとして、

心の器がひっくり返って仏教をはねつけているので、

少しも幸せに向かって進まないですね。

きっと、生きる手段を向上させる、

続かない幸福さえも遠ざかって行きますよ。

普通、自分の心を見つめれば

とうてい仏の智慧に及ぶはずもなく、

仏の智慧によって本当の幸せになりたいと思って

仏教を聞くのかと思います。

親鸞聖人のような方でさえも、

「仏意はかりがたし」

と言われてますし、

親鸞聖人の『末灯鈔』には、

弥勒菩薩をはじめとして,

仏智の不思議をはからうべき人はそうらわず

と、弥勒菩薩でも分からないと

言われています。

自惚れ強い私としては、

自惚れて仏教の教えを受け入れられない人たちの

気持ちはよく分かるのですが、

仏教を聞けないと絶対の幸福にはなれないので、

自分の考えを強く持っていて、

仏教をはねつけてしまうと残念です。

まず自分の考えはわきにおいて、

仏の教えを受け取れるように

受け心を正したいところですね。

まず、仏教に何が説かれているのか、

少しでも正確に聞くように心がけて、

そんな程度の段階は、いち早く通り過ぎましょう。

本当の生きる意味はこちらです。

仏教に学ぶ生きる意味