今回シンボルマークの制作をお願いしたデザイナーの方は、仏教ウェブ通信コースを受講されたので、その内容をシンボルに込めて頂きました。
それが、通信コースのサイトの真ん中に出ているBのマークの○の部分です。
これにはどんな意味があるのか聞いたところ、色々な意味がありました。
例えば私が長南(おさなみ)なので、その頭文字を取ってO、ということも言われていたのですが、それは冗談だと思います(笑)
それらの色々な意味の中でも一番は、仏教に教えられている「絶対の幸福」を表されているということでした。
仏教に絶対の幸福が教えられていることを受け止めて頂いて、とても嬉しいですね。
たまに
「人生の目的は人生の目的を知ることですか?」
とご質問を頂くことがあります。
もちろん、 人生の目的の内容をよく知ることは大切です。
ですが、知るだけにとどまらず、それを達成しなければならないですよね。
では、人生の目的は何なのかというと、それが、絶対の幸福になることです。
これを「円」という言葉を使えば、「極速円融(ごくそくえんゆう)」といいます。
「円融」というのは、完全無欠ということです。
夜空に輝く月でいえば、半月とか三日月は欠けたところがあるんですが、満月は欠けたところがないように、円というのは、完全無欠を表しています。
もうこれ以上、足すものもなければ引くものもない。
そんな幸せだから絶対の幸福ということです。
普段私たちが求めている幸せは、他と比べた程度があります。
分かりやすいようにお金で いうと、
1時間働いて千円手に入る時給千円とすれば、
2時間働けば2千円、
3時間働けば3千円、
10時間で1万円です。
この調子で頑張ると、上には上があって、いくら手に入れれば満足という金額はありませんよね。
これで足すものも引くものもない、ということにはなりません。
どんなにお金が増えても、減り始めると不安になります。
他人から馬鹿にされたくないと思って、高い地位について他人から一目置かれるようになっても、上には上がいます。
これはどの位幸せになったか、程度が比較できる、相対の幸福です。
これはお金以外でもみんなそうです。
人間関係も良くなったり、悪くなったり、常に変わっていきますし、健康状態も、細かくいえば毎日変わっていきます。
そのような足したり引いたりできるような幸せでは完全無欠の幸せとはいえません。
ひとたび絶対の幸福になったならば、もう足すものも引くものもない、絶対変わらない幸せを「極速円融」といわれているわけです。
その変わらない幸せになるのが本当の人生の目的なのです。
それは「極速」ですから、何億分の一秒よりも短い時間でなれます。
もし時間がかかるようなら、だんだんと幸せになるわけですから、相対的ですよね。
瞬間的になれなければ、絶対の幸福ではないのです。
その、絶対の幸福になる極めて速い一瞬のことを「極速」といわれているわけです。
その極速円融である絶対の幸福を表されているのがシンボルマークのBの○の部分です。
仏教を聞けば、どんな人でも、絶対の幸福になって、人生の目的を達成することができます。
ぜひそこまで聞き抜いて頂きたいと思います。
今回シンボルマークができたので、今までセミナーを開く時に使っていた「日本仏教学院」という名称を通信コースにも適用することにしました。
つまり今後は「日本仏教学院」の通信コースやセミナーになります。
そのほうが、通信コースを修了した時に、日本仏教学院の修了証書がもらえるので、受講された方も自信と誇りが持てますよね。
学んだ努力のあかしになります。
それに伴って、日本仏教学院のメンバーサイトを作ることにしました。
それをお願いするデザイナーさんも一流の方だったのですが、前回お話ししたように、一度会わなければ仕事はしないと言われてしまいました。
そこで、あの日、東京の青山に会いに行ったのです。
そして1時間以上、色々とお話ししたところ、仕事を受けて頂けることになりました。
それから、私が目指しているものや、仏教や生きる意味についての説明をよく聞いて頂き、何度もやりとりをして、そのデザイナーさんのイメージから、10以上の試作イメージを作って頂きました。
それは、 普通に考えると、学院風の建物とか、セミナー風景のようなイメージになるのかと思ったのですが、デザイナーさんによると、日本仏教学院の「意義」を表現するには、具体的な物事ではなく、抽象化、象徴化したほうが適切、だそうです。
その試作品を見ると、仏教でよくある蓮とか鹿とか森林などもありましたが、その中で、私が非常にいいと思ったのが、海の写真でした。
ところが、その海の写真だけは使えないといわれます。
なぜかというと、それは販売されている写真ではなくて、インターネット上にあったのを仮に入れてみただけ、とのことだったのです。
他の写真はというと、悪くはないんですが、そんなにいいわけでもなく、受講者の方には少しでも洗練されたサイトで仏教を聞いて頂きたい私としては、ここでまた行き詰まってしまいました。
一体どうしたらいいのか!
勝手に使っちゃうのか?
それについては次回に続きます。