後悔のない人生にするためには、
今を精一杯生きればいいのでしょうか?
ところが、今を精一杯生きて後悔した人は
歴史上数え切れないほどたくさんあります。
それは、天才といわれる領域に達した人でも同じです。
たとえば、
15世紀のイタリアで活躍した
レオナルド・ダ・ヴィンチ

私は神と人類にそむいた。なぜなら本来果たすべき仕事をやりとげられな
かったからだ。(『生きる意味109』p.84)

と言っています。
その直後、16世紀のイタリアで活躍した
ミケランジェロは、晩年、

いまやわたしは知った、芸術を偶像とも君主ともみなしたあの迷妄の情熱
がいかに誤っていたかを。人間にとってその欲望がいかに災厄の源泉であ
るかを。(『生きる意味109』p.96)

と言っています。
同じ16世紀、日本で天下統一をなしとげた
豊臣秀吉は、

露と落ち 露と消えにし 我が身かな 難波のことも 夢のまた夢
(『生きる意味109』p.210)

と辞世の句を詠んでいます。
17世紀、江戸時代、元禄文化の俳聖
松尾芭蕉は、死の床についたとき、

此後はただ生前の俳諧をわすれんとのみおもうはと、かえすがえすくやみなり申されし也(『生きる意味109』p.97)

とくり返しくり返し後悔したと弟子が書き残しています。
18世紀のドイツの文豪ゲーテは、人生を振り返り、

結局、私の生活は苦痛と重荷にすぎなかった。
(『生きる意味109』p.86)

と言っています。
19世紀フランスの印象派の画家、睡蓮の絵で有名な
クロード・モネは、

私の人生は失敗に過ぎなかった。
(『生きる意味109』p.100)

と友人の当時のフランスの大統領、
クレマンソーに書いています。
20世紀日本の文豪
夏目漱石は、最後の随筆に、

今まで書いたことが全く無意味のように思われ出した。
(『生きる意味109』p.102)

と書いています。
20世紀のスペイン出身の画家
パブロ・ピカソは、

絵はわれわれの信じていたようなものではなかった。
それどころか正反対だった。(『生きる意味109』p.101)

と言っています。
その時は
「これが大事」
「これこそ私の生きる意味」
と思ったことも、
後から振り返ると、意味がなかったと後悔するのです。
それは、
「今を生きる意味」であっても、
「人生全体の意味」ではないのです。
その人生全体の意味は、
仏教に説かれていますので、
ぜひ、人生全体の意味を知って、
後悔のない人生にしてください。