前回、一度きりの人生、後悔しないために
今すぐ知るべきことについてお話ししました。
みんな、後悔のない人生とか、
悔いのない人生にしたい
ということで、普通考えるのは、
「今を精一杯生きよう」ということですが、
それでは、実はあとで後悔する可能性が高いんですね。
それは、今は大事だと思って、
精一杯やって、熱中していることでも、
あとから考えると、時間を浪費しているだけだったと
分かったりしますから、
それで、最後に後悔してしまうんですね。
実際、
歴史上の多くの人が、最後に後悔しています。
しかも、かなりのことを成し遂げて、
天才と言われるような人でも
かなりあります。
たとえば、ミケランジェロは、
16世紀のイタリアで、
ダビデ像をはじめとして、すばらしい
彫刻や絵画、建築などを残しました。
天才的な芸術家といわれていますが、
人生の最後にこう言っています。
いまやわたしは知った、
芸術を偶像とも君主ともみなしたあの迷妄の情熱が
いかに誤っていたかを。
人間にとってその欲望がいかに災厄の源泉であるかを。
(『生きる意味109』p.96)
人生の最後には、あれほどの芸術作品も、
光を失ってしまったどころか、わざわいの源泉だったと
いっています。
日本では、豊臣秀吉は、臨終にこんな辞世を残しています。
露と落ち 露と消えにし 我が身かな
難波のことも 夢のまた夢
(『生きる意味109』p.210)
天下を統一して大阪城や聚楽第を築き、栄耀栄華を築いたことも、
夢の中で夢を見ているような、はかないことでしかなかったと
さびしくこの世を去っています。
江戸時代の俳聖、松尾芭蕉は死ぬ四日前、
最後の有名な句を詠みました。
旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る
そのあと、立ち会った弟子によれば
これまで花鳥風月に心をかけてきたのは迷いだったと
くり返し後悔したと記録されています。
この後はただ生前の俳諧をわすれむとのみおもうはと、
かえすがえすくやみ申されしなり。(『生きる意味109』p.97『笈日記』)
18世紀ドイツの文豪ゲーテは
『若きウェルテルの悩み』『ファウスト』などの名作を残し、
現在も読み継がれています。
ところが最後は、友人のエッカーマンにこう言っています。
結局、 私の生活は苦痛と重荷にすぎなかったし、75年の全生涯において、真に幸福であったのは4週間とはなかった、とさえ断言できる。(『生きる意味109』p.86)
19世紀フランスの印象派の画家クロード・モネは、
日本好きだったことでも有名で、
睡蓮の池に日本風の橋がかかっている絵を描いたり、
日本の着物を着た奥さんをモデルに描いた
ラジャポネーズという絵もあります。
ところが最後は自分の絵に価値に疑いを持ち始め、
こう言っています。
私の人生は失敗に過ぎなかった。
そして残されたなすべきことは、私が消える前に、自分の作品を壊すことだけだ。
(『生きる意味109』p.100)
明治の文豪夏目漱石は、
『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』などの名作を残して
よく国語の教科書に出てきます。それどころかお札にも
肖像画が描かれて、日本人に親しまれています。
ところが、最後の随筆にはこう書かれています。
今まで書いた事が全く無意味のように思われ出した。
(『生きる意味109』p.102『硝子戸の中』)
キュビズムで有名な、20世紀の画家ピカソは、
たくさんの作品を残し、中には落札額が100億円を超える
絵画もありますが、最後はこう言っています。
すべて終わった。絵はわれわれが信じていたようなものではなかった。
それどころか正反対だった。……誰にも何の役にも立たないではないか。絵、展覧会──それがいったい何になる?(『生きる意味109』p.101)
その他、たくさんの人たちが、
その時その時は
今を生きる意味にあふれていたのに、
人生の最後、人生全体として考えてみると、
意味がなかったと後悔している人が
多くあるんですね。
こんなことは、
学校の国語や歴史では教えませんので、
ほとんど誰も知らないことだと思います。
その時その時は充実していても、
最後ふりかえってみると、人生を浪費してきたと
後悔するわけですね。
まずはこのパターンを知らないと
この共通のパターンにはまって抜けられませんので、
まずはよく知ることが大切です。
長くなりましたので、
続きは次回お話しします。