前回、どんなにすごい人でも
死ぬまで自己実現はできないことを見てきましたが、
では、自分が最後死んでしまうとすれば、
自分が生きた証が残ればいいのではないか、
と思い浮かびます。
自分が生きていたことを証明するため
人の記憶に残るため
色々な言い方がありますが、
作品や影響、思い出を残すのが、
生きる目的ではないかというものです。
▼では今回も、さっそくトップレベルに
生きたあかしを残し、人々に影響を与え、
多くの人の記憶に残っているような人たちに
尋ねてみたいと思います。
今回も気をつけねばならないのは、
他人にとってではなく、
本人にとって生きる意味があるかどうかが
大事ということです。
それではまず、レオナルド・ダ・ヴィンチ
に匹敵すると言われた天才の登場です。
16世紀イタリア ミケランジェロの場合
 有名なダビデ像をはじめ、彫刻、絵画、建築などの
様々な分野で偉大な作品を残したルネサンスの天才、
ミケランジェロは、生前から高い評価を受けており、
今日まで史上、最もすぐれた芸術家の一人として、
多くの作品を残しています。
私たちからすれば、大変な生きたあかしが残されていますから、
これはミケランジェロ自身にとって、
すばらしい生きる意味だったのではないでしょうか?
 ところが本人は、晩年、芸術に対して深い幻滅を告白しています。

いまやわたしは知った、芸術を偶像とも君主ともみなした
あの迷妄の情熱がいかに誤っていたかを。
人間にとってその欲望がいかに災厄の源泉であるかを。
(ミケランジェロ)

 芸術に人生を捧げたのは、迷妄であり、誤りであり、
その情熱や欲望は、災いの源泉であった、と言っています。
後世にあのようなすばらしい作品を残しても、
本人は、それに一生を捧げたのは
間違いだったと後悔しているのです。
17世紀日本 松尾芭蕉の場合
 江戸時代は元禄文化、俳聖と言われ、
世界的に知られる松尾芭蕉が、
死の4日前に詠んだのがこの有名な句です。

旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる

病に伏し、死が近づく中で、芭蕉は何を見たのでしょうか。
また旅に出たいと思ったのか、
それとも50年の旅のような人生を走馬燈のように
思い巡らしていたのか。
 そのとき立ち会った弟子の『笈日記』によれば、
芭蕉は、俳諧の道を志してより、
花鳥風月に心をかけるのは迷いであると
かねがね聞いてはいたが、
死を前にしてその通りだったと知らされ、
「もう生前の俳諧を忘れようとしか思わないとは」と、
くり返しくり返し後悔したとあります。

この後はただ生前の俳諧をわすれむとのみおもうはと、
かえすがえすくやみ申されしなり。(『笈日記』)

たくさんの名句を残し、日本人なら
誰でも知っているような松尾芭蕉も、
臨終に後悔しているのです。
19世紀イタリア ヴェルディの場合
音楽の世界にもあります。
「椿姫」「アイーダ」といった名作を残した、
19世紀を代表するイタリアの作曲家ヴェルディは、
晩年、シェイクスピアを原作とする歌劇
「オテロ」や「ファルスタッフ」を完成し、
好評を博しました。
当時の人たちにとっても、私たちからしても、
すばらしい作品群が残されています。
 ところが本人は、健康が著しく衰え、
そんな自分の状態に
すっかり憂鬱になってしまいました。
1901年、80歳になった死の年に、
こう書いています。

わたしは生きているのではなく、
ただ草木のように存在しているだけだ……
わたしはもうこの世に何もすることがない。(ヴェルディ)

 あれだけの作品を残し、世界的な名声も得たのに、
少しも嬉しくなさそうです。
せっかくすばらしい作品を残したのに、
それが自分にとって
意味が見いだせなくなってしまったのです。
20世紀フランス クロード・モネの場合
 フランスの印象派の画家クロード・モネは、
日本好きだったことでも知られ、すいれんの池にかかる
日本風の橋の絵をたくさん描いたり、
着物を来た奥さんをモデルに「ラ・ジャポネーズ」
というきれいな絵も描いています。
晩年には画家として高く評価されていたのですが、
だんだん自分の絵画の価値について
根底から疑いを持つようになり、
自分の絵を破いたり燃やしたりするようになりました。
最後にはこう言っています。

私の人生は失敗に過ぎなかった。私に残されたすべては、
私が消える前に、すべての作品を破壊することだ。(クロード・モネ)

20世紀スペイン パブロ・ピカソの場合
 スペイン出身、フランスで活躍したピカソもそうでした。
落札額が100億円を超すこともある絵画を描きましたが、
晩年になると、自分の絵に確信が持てなくなります。
「傑作なのか屑なのか分からない」と疑問を持ち始め、
そのむなしさを打ち消そうと、
ますます激しく仕事に打ち込みます。
ところが最後には

誰にも何の役にも立たないではないか。
絵、展覧会──それがいったい何になる?
……すべて終わった。
絵はわれわれが信じていたようなものではなかった。
それどころか正反対だった。(ピカソ)

と言っています。
死んで行くときには、あのような沢山のすばらしい作品は、
何の役にも立たなかったということです。
20世紀日本 夏目漱石の場合
 日本の文豪・夏目漱石も同じです。
『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『草枕』『三四郎』
『それから』『こころ』と、あれほどの名作を残しながら、
死の前年、最後の随筆『硝子戸の中』には、
こう記されています。

今まで書いた事が全く無意味のように思われ出した。(夏目漱石)

 このように、人生の最後は、
これまで自分の生きる意味だと思ってきたこと
すべてが光を失い、
自分の生きたあかしなどに満足できないのです。