生きるのは他人のため?

前回に引き続き、生きる意味についての
よくある間違いパート3「生きるのは他人のため」です。

これは、普通は自分のことばかり考えている中、
他の誰かのために生きようということですから、
前回の「生きるのは成長するため」よりも
さらにすばらしい考え方です。

では、それは「生きる意味
と言えるのでしょうか?

▼「生きるのは他人のため
というのは、社会や人類への貢献
ということもありますし、
身近な所では、家族や子供のために生きる
ということもあります。

この話を始める前に、
あらかじめ確認しておかなければならないのは、
生きる意味というのは、

他人にとっての意味ではなく、
あなた自身にとっての
あなたの生きる意味だということです。

もし誰か他人のために意味があればいいとすれば、
身の毛もよだつ事態になりかねません。
極端な話、たとえば人間よりも高等な生物がやってきて、
食べるために人間を生かしていたとします。

その高等生物にとっては、
あなたが生きる意味はあるのですが、
あなたにとってはまったく生きる意味を感じられないでしょう。

架空の高等生物でなくても同じです。
支配階級の人が、重い税金をとって楽して生きるために、
あなたを奴隷か家畜のように働かせ、生かしている
としたらどうでしょう。

支配層の人にとっては、あなたの生きる意味がありますが、
あなたはそれで生きる意味を感じられないのではないでしょうか。

ですから、「世のため人のために生きている」という人は、
実は、それが自分にとって意味を
感じられているということです。

つまり、「他の誰かのために生きる」というのは、
他の誰かに貢献することが、
あなたにとって意味があるということなのです。

▼では話を元に戻しましょう。
他人のために生きる」の
他人というのは、もちろんまずは身近な
家族や子供のためでしょう。
それがさらに、能力や徳がある人ほど、
身内以外の人のことも考え始め、
友人のためとか、会社のため、
日本のため、世界人類に貢献するためと
スケールが大きくなります。

一人の人生でも、子供の時には
自分のことしか考えていなかったのが、
成長して社会人となれば、
その社会の一員として家庭を築き、
仕事や地域の集まりなどで、努力に応じて
社会に貢献する割合も大きくなってゆきます。
すばらしいことです。

▼ところが現実問題としては、60歳にもなれば、
子供も社会人として独り立ちし、
主たる仕事も終わることがほとんどです。
さらに年齢を重ねてゆくと、だんだんと衰え、
やがてどちらかというと社会や家族に
世話になるようになってきて、
貢献どころではなくなってきます。

それは「他人のために生きている」
とは言えなくなってくる、ということです。

60歳からの生きる意味』という本では
こう書かれています。

子孫を残すという生物本来の役割が終わっている以上、
「あなたは何のために生きているのですか?」
と聞かれて、「私は社会に役立つために生きています」
とはなかなか言えません。
現実にだんだん役立たなくなるのですから、
それでは答えにならない。(『60歳からの「生きる意味」』)

「社会に役立たない人は生きる意味はしゃない」
とは言えませんし、どんなすごい人でも
やがて死ぬまでには周りの世話になるでしょうから、
「他の誰かのために生きる」というのは
何のために生きるのかの答えにならないことが分かります。

▼では、百歩譲って、すぐれた人の中には、
それでも何らかのすごい力で、
さらになお家族や社会に貢献できる人もあるとします(笑)

では、そのすばらしいあなたが貢献した相手は
何のために生きているのでしょうか?

もし特に意味を持たない人のために生きてしまうと、
自分の意味もなくなってしまいます。
ちょうど部屋の中で、椅子を押して歩いた場合、
その椅子に意味がなければ、後押しする意味もありません。
後押ししている相手に意味がなければ、
後押ししている自分にも意味がなくなってしまうのです。

▼子供であれば、子供は何のために生きているのか。
子供はそのまた子供のために生きているとすれば、
そのまた子供は何のために生きているのか………
そのまたまたまた子供は何のために生きているのか?
どこまで行っても答えの分からないまま、
子々孫々までずっと続いていってしまいます。

社会に貢献するなら、
社会というのは人間に集まりですから、
その人たちは、何のために生きているのか。

社会は、そこに生きている人が
よりよく生きるためにあるのですから、
そうやってみんなで協力し、
助け合って生きていくのは何のためかが問題なのです。

このように、他人のために生きるとか、
社会に貢献することは、
大変素晴らしい「生き方」でありますが、
「生きる目的」ではない、ということです。

では、一体本当の生きる目的は
何なのでしょうか?