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生きる意味は文学者でも分からない。

前回までに、西洋哲学でも心理学でも

本当の生きる意味は分からないことを

ご理解頂けたと思います。

そこで最後に、文学者です。

哲学者と心理学者に無理なら、

文学者には分かるのでしょうか?

文学者は、豊かな感性で人生の物語をつむぎ出します。

ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』や、

シューベルトが曲をつけた、

ミュラーの『美しき水車小屋の娘』など、

徒弟が一人旅の中で恋をしたり、人生経験をして、

自己を発見し、いかに生きるかを考えて行く話でした。

日本では、ノーベル賞作家の川端康成

伊豆の踊子』なども、今でいう大学3年生が、

伊豆へ一人旅へ出て、人生経験を積む筋書きでした。

そんな文学作品に親しんでいたら、

ひょっとしたら生きる意味や目的も分かるのかもしれません。

実際、そんな生きる意味に答えを出そうと取り組んだ文学者も

かつて、たくさんありました。

夏目漱石

 例えば夏目漱石は、若い頃から人生の目的を探求していました。

 やがて、人まねではなく、自分らしく生きることを発見して

少しは落ち着いて作家として活躍し始めるのですが、

自分らしく生きたところで、

そうやってどこへ向かって生きるのかという、

生きる目的は分かりません。

 中期の『夢十夜』という作品には、

どこに行くのか分からない船に乗って

心細くなっている様子が描かれています。

どこへ行くのか分からないのに、

周りの人は星を見て天文学の話をしたり、

サロンで歌ったりしていますが、

行き先は気にしていないようです。

やがて行き先が分からないまま進んで行くことに

ますますつらくなって、ある晩、海に飛び込みます。

そして最後は

無限の後悔と恐怖とを抱いて、黒い波の方へ静かに落ちて行った

とこの作品は終わります。

その後、晩年の『硝子戸の中』では、

すでに「よくある七つの間違い」で見たように、

今まで書いた事が全く無意味のように思われ出した。(夏目漱石)

と言っていますから、

この疑問はついに解けなかったようです。

芥川龍之介

 その門下の一人、芥川龍之介も、

『蜘蛛の糸』『杜子春』などの名作を残し、

天才といわれた作家ですが、

やはり生きる意味は分からなかったようです。

自伝的作品『或阿呆の一生』に、

長男の誕生を、こう嘆いています。

なんのためにこいつも生まれて来たのだろう?
この娑婆苦の充ち満ちた世界へ
(芥川龍之介『或阿呆の一生』)

 自分が生きる意味が分かっていれば、

子供にも教えれば生きる意味が分かるはずです。

子供の生きる意味が分からないということは、

やはり自分の生きる意味も分からないのです。

最後は「将来に対するただぼんやりした不安」

によって自ら命を絶ってしまいました。

このように、生きる意味が分からず、

中には自殺してしまう人さえあるのです。

太宰治

 太宰治もそうでした。大地主の家に生まれ、

東京帝国大学に入学。37歳のとき、

没落していく上流階級を描いた代表作『斜陽』がヒットし、

人気作家になります。

ところがそこにはこのように書いています。

生れて来てよかったと、ああ、いのちを、人間を、世の中を、
よろこんでみとうございます………
僕は自分がなぜ生きていなければならないのか、
それが全然わからないのです。(太宰治『斜陽』)

そして翌年、遺作となった『人間失格』を残して

自殺してしまうのです。

●武者小路実篤

友情』『愛と死』などの著作で知られる武者小路実篤は、

人生論』を著しますが、本文が始まってわずか2ページで、

もっと明確に書き残しています。

人間は何の目的で生まれたのか。
また何か目的があって自然は人間を生まれるようにしたのか。
僕にはそれがわからない。(武者小路実篤『人生論』)

こうして人生の特徴や、いかに生きるべきかという

生き方が論じられますが、生きる目的にはふれらません。

五木寛之氏

現代の日本でも同じです。

作家、五木寛之氏は、『人生の目的』という本の中、

わずか23ページでこのように宣言しています。

人生に目的はあるのか。
私は、ないと思う。何十年も考えつづけてきた末に、
そう思うようになった。
(五木寛之『人生の目的』)

人生の物語を書きつづり、多くの人に共感を与えてきた

人気作家であっても、何十年考え続けたすえ、

人生の目的は分からないのです。

アントン・チェーホフ

 海外の文学者でも変わりません。

モスクワ大学医学部を卒業しながら、作家となり、

当時の文学界に大きな影響を与えた

19世紀のロシアの小説家チェーホフは、

自分の生存の意義や目的を知ろうとしたって、
なんにも教えられはしません。
教えられることといったら、どれも、
つまらないばかげきったことばかりで、
いくらむちゅうになってたたいてみたところで──
とびらは開かれはしないのです。
死が近づいてくるだけなのです。(チェーホフ)

と書いています。

アルベール・カミュ

 20世紀フランスのノーベル賞文学者アルベール・カミュは、

こう言います。

こんにちの労働者は、生活の毎日毎日を、同じ仕事に従事している。
その運命はシーシュポスに劣らず無意味だ。(カミュ『シーシュポスの神話』)

 シーシュポスというのは、ギリシア神話で、

丘の上まで岩を持ち上げなければならない刑罰に処せられています。

ところが頂上まで来ると、岩は転がり落ちてしまい、

また最初から持ち上げなければなりません。

これを永遠に繰り返すのがシーシュポスの運命です。

日本では石を積んでも崩れてしまい、それを無限に繰り返す、

賽の河原のようなものですが、

毎日同じ仕事を繰り返す現代人の運命は、

そんな無意味なものだと言っています。

ウィリアム・シェイクスピア

 さかのぼれば歴史上、最もすぐれた文学者の一人と

言われるシェイクスピアも、その人生観を

このように作品に残しています。

 人生は歩きまわる影法師、あわれな役者だ、
舞台の上でおおげさにみえをきっても出場が終われば消えてしまう。
阿呆のしゃべる物語だ、わめき立てる響きと怒りはすさまじいが、
意味はなに一つありはしない。(シェイクスピア『マクベス』)

 このように、豊かな感性で人生を描き出す、

すぐれた文学者たちであっても、やはり生きる意味は

分からないのです。

なお、

「人生の目的に答えられないのは、

頭がからっぽだからではないか」

というご質問をくださった方がありますが、

もちろんこれらの文学者や心理学者、哲学者は、

「頭からっぽ」だから分からないのではありません。

きっとすごい教養のある人達だと思います。

そんな歴史に名を残す知識人たちでも分からない

それほどの難問が「本当の生きる目的」

ということです。

逆に簡単に教えられるほうが、

心配になりますよね。

先ほど出てきたチェーホフは、

「教えられることといったら、どれも、
つまらないばかげきったことばかり」

といっていますが、それはどんなことでしょうか?

やはり「生きるために生きる」とか、

「魂の成長」とか「自己実現」とか

かもしれません(笑)

仏教では、そんな「よくある7つの間違い」を超えた

本当の生きる意味が説かれています。

やはりお釈迦さまは、世界の三大聖人、

二大聖人と言われてもトップにあげられ、

いかに人智を超えた方か分かります。

ぜひそんな文学者も心理学者も哲学者も分からない

本当の生きる目的を知り、完成して、人間に生まれてよかったという

大満足の人生にして頂きたいと思います。